第1回:着物のルーツ 〜着物の起源と奈良・平安時代〜
私たちが着ている着物は、どのようにして生まれたのでしょうか?
着物の歴史をたどると、古代からの日本の文化や生活様式が反映されていることが分かります。本記事では、着物の起源と奈良・平安時代の着物文化を紹介し、現代の着物につながるルーツを探ります。
💡 奈良時代と平安時代ではどんな違いがあったのか?
💡 十二単の美しさの秘密とは?
着物のルーツ:古代の衣服から始まる
着物の歴史をさかのぼると、古代の日本人が身につけていた衣服にたどり着きます。もともと日本の衣服は、**「貫頭衣(かんとうい)」**と呼ばれる、布に穴を開けて頭を通すシンプルなものでした。
しかし、日本が大陸と交流を持つようになると、中国から渡来した**「呉服(ごふく)」**の技術が伝わり、着物の原型ができあがっていきました。
奈良時代:唐風文化の影響を受けた装束
奈良時代(710〜794年)は、遣唐使を通じて中国・唐の影響を大きく受けた時代です。この時期の衣服は、唐風のスタイルを取り入れた華やかなものでした。
- 男性は「衣(ころも)」と呼ばれる長い着物に袴を合わせるスタイル
- 女性は「裳(も)」と呼ばれるスカートのようなものを重ねる装い
- 身分によって衣服の色や柄が厳格に決められていた
この時代の着物は、まだ現代のものとは異なり、ゆったりとしたシルエットで、動きやすさよりも格式が重視されていました。
平安時代:優雅な十二単の誕生
平安時代(794〜1185年)になると、日本独自の文化が花開き、着物も独自の発展を遂げます。この時代に誕生したのが、貴族女性の象徴ともいえる**「十二単(じゅうにひとえ)」**です。
✔ 何枚もの衣を重ねることで色のグラデーションを楽しむ
✔ 四季や行事に応じて色の組み合わせ(襲の色目)が決まっていた
✔ 動きやすさよりも、美しさや格式が重視された
十二単は非常に重く、1回の着付けに長い時間がかかりました。それでも、当時の貴族女性たちは、色の組み合わせや流れるようなシルエットで自らを美しく演出していたのです。
平安時代の男性の装い
男性の衣服もまた、この時代に大きく変化しました。貴族の男性は「束帯(そくたい)」と呼ばれる正装を着用し、公務を行う際に身につけるものとして定められました。
- 長い衣に帯を締め、冠をかぶるのが正式なスタイル
- 天皇や高貴な身分の人は特別な色や柄を許された
- 庶民はシンプルな「小袖(こそで)」を着用
この「小袖」が、後に私たちが知る「着物」の原型となっていきます。
奈良・平安時代の着物が現代に与えた影響
奈良時代には中国文化の影響を受け、平安時代には日本独自のスタイルが確立されました。そして、平安時代後期に登場した「小袖」が、後の時代の着物の基礎となります。
今でも、十二単の「襲の色目」や、和装の色合わせのルールは現代の着物にも受け継がれています。たとえば、着物の重ね着の美しさを意識した配色や、格式に応じた着物のルールなどは、この時代の文化の名残なのです。
次回予告:武士の時代と着物の進化
平安時代までは、貴族が着物文化を支えていましたが、鎌倉時代になると武士の時代が訪れます。次回は、**「鎌倉・室町時代 〜武士の時代と着物の進化〜」**をお届けします。
着物は、どのようにして武士の装いへと変化していったのか?引き続き、着物の歴史を一緒にたどっていきましょう!
